安積宇宙と語る障害者の自立生活と権利運動 日本からニュージーランドへ

日本人の車椅子を使った親子が新年コンサートのステージの前で撮った写真
遊歩と宇宙 ダニーデンで行われたコンサートにて
英語で会話を聞いてください。 視聴注意:10:04-11:03;障害を持った子供が殺されたことについての語り;18:30-21.47: 相模原やまゆり園事件と家族からの障害者への恥についての語り

安積宇宙の母、安積遊歩は骨が脆いという体の特徴を持って生まれてきたために、幼少期は過酷な医療介入を受けました。〇歳から二歳の男性ホルモンの投与から始まり、数々の手術も経験し、一三歳でついにその介入をさせないと自分で決めたのです。そして、十九歳の時から当時始まったばかりの障害者運動に関わるようになっていきました。

同じ体の特徴を受け継いだ娘の宇宙は、母親の障害者運動を誇らしげに語りました。

「遊歩は…障害は恥ずべきことではないことに気づきました。それどころか、障害は人々が互いに支え合うことは可能か、そしてそれを賢明に進める社会作りをするための重要な要素だと考えました。」

この哲学のおかげで、宇宙は幼い頃から人に助けを求めるのが得意でした。

「小さかった頃、骨折しても、周りの人にああしてこうしてと伝えて、寝たきりでも自分の思うようにおままごとをしたり、好きなように遊んでいました。ときには、担架代わりの平らな板に乗せてもらって近くの公園や、ある時は銭湯にまで連れて行ってもらったこともありました。骨折という最悪の状態の時でも、周りからの助けによって、主体性と自由を保つことができたのです。」

彼女は、「自立」という言葉は、自分でなんでもこなすことではなく、もっと包括的な意味合いがあるといいます。

「自立するためには、他の人に依存しないことが重要だと考える人が多いです。しかし、私たちは、自分に関わることを自ら決定することが自立だと考えています。」

宇宙は、東日本大震災と福島原発事故の後、ニュージーランドに引っ越しました。現在は、障害者権利条約がニュージーランドで履行されているかどうかを調査する研究員として働いています。ニュージーランドにきてから、こっちの障害を持った人たちのコミュニティーを見つけるまで、時間がかかりました。そして、もともと、遊歩の娘であるということからの親以外からの暗黙の期待に反発し、障害に関わる分野で働くことを躊躇していました。けれども、大学の時に研修をした知的障害を持つ人たちのサポートをする団体での経験を経て、障害分野で働きたいという気持ちを培いました。

「私が最初にここに引っ越したとき、私は北島の非常に小さな町に住んでいました。その町には、他の障害者は見当たりませんでした。そして、大学に来たあとも、私はまだ障害者の世界から切り離されていました。…しかし、より多くの障害を持った人々との出会いと学びを通して、この国によりしっかりとした居場所を感じるようになりました。」

彼女は、両国の障害者状況を振り返り、介助料などの補助金の確保は常に難しい問題だと語ります。両国に、違いもあります。日本の場合、脱施設化は、主に身体障害者によって主導されましたが、ニュージーランドでは知的障害のある人々とその関係者がその運動の中心でした。

「日本は知的障害のある人に対してよりインクルーシブになる方法をニュージーランドからもっと学ぶことができると思います。しばらく前から知的障害のある人を支援し始めた自立生活センターもあります。しかし、それは最初から始まったわけではありません。この分野はもっと発達していく必要があるところです。」

同様に、ニュージーランドの障害者団体の多くは当初、家族やアライによって設立されましたが、日本では、ほとんどが障害者、特に重い身体障害者が主導でした。

例えば、遊歩が深く関わっていた青い芝の会という団体は脳性麻痺を持つ人々によって形成されたグループでした。それは、排他的な健常者の文明を否定し、強い障害のアイデンティティを主張し、相互理解と真の幸福を求めるために、簡単な問題解決ではなく、果てしない論争を選ぶという革新的な原則に基づいた運動でした。

青い芝の会は、脱施設化のキャンペーンや地域での障害者の自立生活の提唱に尽力しました。現在、日本には障害者が主導する自立生活センターが100以上あり、そこでは地域の自立生活支援やピアサポートが行われています。 

宇宙は、ニュージーランドでもそのようなコミュニティを構築するためのスペースが必要だと感じています。

「私は障害のある同居人と一緒に住んでいます。他にも障害を持つ友達や、コミュニティの中でも障害を持っている人を見かけます。しかし、私がすでに知っている人々よりもっと多くの障害者がいるのを知っています。そして、もっと多くの人が繋がれる場所を作りたいのです。」

政治の場で、日本では障害の可視性が向上しています。2019年には、3人の車椅子ユーザーが日本の国会に選出されました。ニュージーランドでは、2011年から2017年にかけて初めて聴覚障害者の国会議員が一人いました。そのあとは、難病で障害を持った国会議員が現在一人います。

しかし、家族や社会による障害者、特に施設に住む障害者への抑圧と偏見は、いまだに日本に強く残っています。2016年に、そのような施設の元職員が優生思想を唱えて、障害者へのヘイトクライムを犯し、19人の障害者を殺害し、26人を負傷させました。5年後、19家族のうち5家族だけが、殺された障害者の名前を公表しました。

ニュージーランドの障害者の扱いにも醜い部分があり、そのいくつかは公の施設での虐待の調査を通じて認められ始めています。

宇宙は、障害者運動は、世界全体の変革を目指す要素の一つだといいます。

「紛争や戦争をするのではなく、社会はお互いを支え合えるコミュニティを作ることに力を注ぐべきです。その中で、障害は助け合いができる社会を構築する上で中心的な部分になると思います。したがって、障害に注目することは、平和を構築するための重要な要素になるのです。」

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Categorized as Posts

By Áine Kelly-Costello

Blind freelance writer/journalist and campaigner from aotearoa NZ.

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